鳥越俊太郎著「がん患者」を読んでみた

October 23, 2011 – 5:36 pm

図書館の新刊書コーナーのなかに鳥越俊太郎の「がん患者」を見つけた。

鳥越俊太郎とガンについては、テレビのワイドショーで入院・手術の様子をみたとか、NPOの「がん患者団体支援機構」の理事長になった話(現時点では退任している)とか、変な表現であるが「活動派のがん患者」との印象がある。

私自身もがん治療の経験者のひとりとして、鳥越俊太郎の生き様が気になっていた。早速、読んで見た。同じ「がん患者」として、共感する部分も多々あった。

この本、お勧めの一冊だ。

ステージⅣの衝撃: 本書は、「ステージⅣの衝撃」なる小見出しからスタートする。一般に、ガンのステージはⅠ期からⅣ期に分類されている。Ⅳ期の次はない。鳥越さんの大腸がんは、ステージⅣだったという。

Ⅳ期の5年生存率は20~30%だという。鳥越さんが大腸がんであることが明らかになって5年以上が経過したところで、この「闘病記」を書くことにしたようだ。

私も同じくステージⅣであった。私の場合は、大腸がんといった「固形ガン」ではなく、血液系のがん「悪性リンパ腫」だ。入院治療を開始した時点から既に6年が経過している。平均以上に長生きさせてもらっている。私も、鳥越さんに習って、一つの区切り「5年生存」を果たしたということで闘病記を書くというのもいいな、なんて思ったりしている。

受け持ち看護師: 本書の第4章(入院-テレビで告知)に入院中の鳥越さんと看護師さんの写真が掲げられている。この写真のキャプションはつぎのようになっている:

受け持ち看護師の小俣さんと、細やかな気配りに助けられた

がんという病気に限らないと思うが、入院するとかならず担当の看護師さんが割り当てられる。私の入院した病院では、たしか、「担当看護師」と言っていた。この担当看護師さんの役割はすごい。患者にとって、本当に助けられる。鳥越さんが写真を掲げた理由が分かるような気がする。

私の「担当看護師」さんは、私が「担当」する最初の患者だったようだ。そういうこともあったのだろう、本当に一生懸命やってくれた。私の入院していた病院では、看護師としての経験が2年以上たたないと、「担当看護師」となれないというい話しをきいたことがある。どうも、担当看護師になると、一人前の看護師として認められるようだ。鳥越さんと看護師さんの2ショット写真をみて、私の「担当看護師」さんを思い出した。

病院の「腕」が生死を分ける: 鳥越さんの従兄弟で、修さんというかたががんで亡くなった話しがでてくる。そこに、鳥越さんの妹、恵里子さん、従兄弟の奥様、千佳子さん、そして鳥越さんの3人の会話が書かれている。次のようなものだ:

鳥越「やっぱり腕だなぁ。せめて久留米医大に行ってたらな・・・最初からね」
妹の恵里子は修と年齢がほぼ同じで、小さい頃から一緒に遊んでいた仲なので、修の性格も熟知していた。だから仕事の顧客である個人病院の医者に身を任せた修の気持ちはよくわかる、という。しかし、
恵里子「私はね、てっきり久留米医大に最初から行っていたんだなと思ってたんですよ。聞いたら違うというからね。修ちゃんらしいけど、初期の段階でひとつ間違えば、そうなるんだね。」
千佳子「怖いですね。順序をこじらせたら、本当にあーなってしまう。抗がん剤も、個人病院だともうなんかマニュアル通りだそうですね。専門の、抗がん剤に詳しい先生もいなくて・・・、個人病院では抗がん剤の使い方も、男も女も体重も関係なしに使われるんで、きついんですね」
鳥越「それは消化器のがん専門医のやり方じゃないね。抗がん剤ってのは、患者さんの症状をものすごく見て決めてるんだよね」
千佳子「そうでしょう」(p.255)

このくだり、がん患者にとって非常に重要なことが書かれている。抗がん剤によるがん治療は、「患者さんの症状をものすごくみて」行うものだ。医者は、患者の症状を見極め、適切な抗がん剤を決める力、スキルが必要だ。いくら医療技術が発達しても、それを使いこなすだけの「腕」をもたない病院、医者では、患者を助けることはできない。

以前、このブログで、「医療分野のIT化と真の医療のありかたについて」を書いた。ここで、自らの経験から「安易に『病気の種類ごとに治療方法を標準化』してはならない」ということを書いた。私の主治医が「『標準的な』治療を施しながら、患者である私の状態が持つ特殊な条件を見定める『特別の』治療」をしてくれたことを紹介した。

まさに、病院、医者の「腕」が生死を分ける、のである。

がん、恐れるにたらず: 鳥越さん、本書のあとがきで次のように書いている。

私は大腸がん「Ⅳ期」という、ステージとしては最終の舞台から治療を始め、肺と肝臓に転移し、4回の手術を受けた。これだけの情報を耳にすると誰もが、がんに追い込まれたヨレヨレのがん患者をイメージしてもおかしくないだろう。
しかし、現実の私は、がん発見前より健康で元気になっている。仕事の量は、がん以前の3倍に増えている。これは私だけの特殊なことなのだろうか?
わたしはそうは思わない。
現代の日本の医療は、実は私のようながん患者を数多く見て来ているのだ。
そうしたがんとともにいきている実例として、私のケースをできるかぎり客観的に紹介したかったのである。(pp.316-317)

私の場合、血液系のがん「悪性リンパ腫」を患ったのであるが、鳥越さんと同じく「Ⅳ期」というステージから治療を開始した。そして、私も、がん発見前より健康で元気になっている。鳥越さんのケースは特殊なことではないのだ。

入院治療開始から6年半経った今、私の「闘病(といえるか?)」経験をネット経由で紹介することもいいのではないか、と考えているところだ。


Post a Comment