J.D.バナール著「歴史における科学」を読んでみた

August 8, 2009 – 4:17 pm

以前、このブログで、「ガモフ全集(全12巻)を読んでみた」を書いた。この全集の別巻に「現代物理科学の世界」がある。訳者まえがきで、ガモフのこの本が「社会との関連をぎせいにして、科学そのものの知識と方法の解説に焦点をしぼる」ものであるのに対し、「科学そのものの解説をぎせいにして、社会(産業・経済・政治・思想)との関連に焦点をしぼる」ものとしてバナールの「歴史における科学」がある、と紹介されていた。では、ということで読んでみた。

「歴史における科学」、(原題:Science in History)は、第一版、1954年、第2版、1957年、そして第3版が1965年に出版されている。第3版が鎮目泰夫の訳で1967年にみすず書房から出版されている。

日本語訳は4分冊に分かれている。それぞれ「文明の起源から中世まで」、「近代科学の誕生と発展」、「二十世紀の自然科学」、「二十世紀の社会科学」の副題がついている。このうち、私が、今回、読んだのは、第Ⅰ分冊から第Ⅲ分冊まで、自然科学にかかわる部分だ。

本書が出版された1967年は、私が、大学の物理学科に入学した年であり、本書が話題になっていたとの記憶はある。あれから40年以上経ってこの本を手にし、やっと読み終えたというところだ。

「唯物論」と自然科学: 今年のノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大学教授の受賞に際しての発言がいろいろな意味で注目を浴びた。このなかで最も私にとって印象に残ったのは、「私は唯物論者であるので・・・」というところだ。益川教授は、また、「武谷三男の三段階論により方法論を学び、恩師である坂田昌一教授により研究の『作法』を学んだ」という発言をされたように記憶している。

受賞対象となった「小林・、益川理論」が発表されたのが1973年である。この益川教授の発言は、「小林・益川理論」が発表された時代の科学界の雰囲気、科学論を反映しているように思う。この「時代的雰囲気」が、このバナールの「歴史における科学」のなかに感じとられる。「唯物論的」観点からみた科学史といったものだ。

この書における自然科学に対する見方が、40年以上たった今日みると、余りにも楽観的だったことに驚きすらおぼえる。そして未来が実に明るく描かれている。その根底には、当時のソビエトを中心とする社会主義制度の「成功」というものが背景にあるのだろう。

40年経った今、世界はバナールが想像したものとは著しく異なったものになった。この本が出版されて今日に至る間におきた最も大きな事件はソビエト連邦を中心とする社会主義諸国の「崩壊」だ。本書では、現代科学発展の社会的基盤として社会主義制度の優位性が繰り返し述べられている。優位であったはずの社会主義制度は、「崩壊」、少なくとも後退してしまった。

そして、最近の「反科学」ともいえる社会的雰囲気。これをどのように考えればいいのか?いろいろ考えてみる必要があるように思う。

読むには読んだが、この本、今や絶版だ。手に入れるのは極めて困難だ。近所の公立図書館にあるのを見つけ、貸し出してもらって大急ぎで読んだところだ。率直に言って、翻訳本ということもあるのだろうが、読み難い本であった。私にとって、貸し出し期限内に読み終えるというのは至難の業だった。とにかく読み終えたというところだ。もう少し、ゆっくり読めればと思っている。

ただ、一度は、読んでおいて良い本には違いないというのが、私の正直な印象だ。


Post a Comment