科学・サイエンス教育のありかた

February 16, 2008 – 4:29 pm

2月3日付けの日経朝刊に「科学」、「サイエンス」の国民の意識について興味深い記事をふたつみつけた。ひとつは、内閣府調査結果についての報道、「環境やエネルギー問題『科学で解決』6割」というものだ。もうひとつは、毎週日曜日に掲載されるインタビュー記事「かがくCafé」の「文・理問わずサイエンスを」だ。どちらも、科学・サイエンスに対する国民の意識、そしてその教育のありかたを考えるうえで興味深いものである。

最初の記事は、内閣府の「科学技術と社会に関する世論調査」の結果を示したものだ。興味ある部分を抜粋すると以下のような内容だ;

(上記の)世論調査によると、資源・エネルギー問題や地球環境問題などあらたな社会問題が「科学技術の発展で解決される」とみている人が62.1%に上り、04年の前回調査(34.9%)からほぼ倍増した。
内閣府は「地球環境問題などの解決方法の一つとして科学への期待が高まってきた」と分析している。
 (中略) 
日本の国際競争力を高めるために科学技術を発展させる必要があるとの回答は78.3%、学校での理科や数学の授業が生徒の科学的センスを育てるのに役立つかと聞くと「そうは思わない」が49.6%で、前回から6.6%増加した。

この記事、興味深いのは、科学技術の役割が増大しているという認識が深まり、それへの期待が高まってきている一方、逆に、科学技術発展のしたささえをすべき学校教育が十分に機能していないとされていることだ。

社会問題として最近大きく取り上げられている地球温暖化問題、科学技術の発展によりもたらされた負の側面といえるものだ。私の印象としては、こうした問題への対応は、どちらかといえば、精神論的な対応が主であり、科学技術のさらなる発展に解決の糸口を見出そうとはしていないと感じていた。このブログの以前の記事「レジ袋が地球温暖化対策?」では、こうした印象を書いた。ところが、この世論調査の結果、国民の意識は、むしろ、「科学技術の発展による解決」が多数を占めているという。意外だ。このギャップはどう説明したらいいのだろう。

逆に、国民の認識では、学校教育がこういう科学技術への期待に応えるものになっていないという。最近、子供の「理科ばなれ」ということが話題に上っている。このあたりのことを指して、学校教育、とりわけ科学教育が、うまく機能していないと認識しているのだろうか。

「かがくCafé」の記事は、来年開校する「横浜サイエンスフロンティア高校」の常任の特別顧問になる和田昭允・東大名誉教授へのインタビュー記事である。この「横浜サイエンスフロンティア高校」、世界で活躍する人材教育を目指し、理数系教育に重点を置いた横浜市立の高校のようである。この高校、このほか、ノーベル賞物理学者・小柴昌俊、元文部大臣・有馬朗人など、多数の高名な科学者を顧問に迎えている。この高校、Wikipediaによれば、先端科学技術4分野(生命科学、ナノテク・材料、環境、情報)の「ほんもの体験」をきっかけとした「驚きと感動による知の探求」を教育の理念としているという。

このインタビューのなかで、和田名誉教授は、「サイエンスとは、自然現象に限らず物事をよく見て背後にあるものを理解し、問題解決の道を見つける力」とし、「昨年公表された経済協力開発機構(OECD)の調査で日本の子供たちの理数系学力の低下が指摘された。日本の発展のためにはサイエンスの基礎をもった人を育てることが不可欠だ」と述べている。

このインタビューにおける和田名誉教授は、サイエンスが子供たちが将来にわたり直面する問題を解決するための基盤を提供するものにも関わらず、OECD調査で学力の低下が認められているとの認識から、なんらかのてこ入れが必要になっていると考えたものであろう。それが、高名な科学者をして、横浜サイエンスフロンティア高校の顧問としての参加を促したわけだ。しかし、この高校、ある種、エリート教育を志向するとの印象を強くうける。OECD調査が、こうした突出した能力を持つ子供たちを対象にしたものであるかどうかは疑問がある。何よりも、子供たち全体の科学する能力の向上が望まれるのではないか?

日経のふたつの記事から、明確には私見を述べるには至っていないが、さらに私自身日本の科学教育の行き先について、考える必要を感じた。そのためには、OECD調査報告の内容がいかなるものであるか、十分に検討することが、ひとつのてがかりを与えてくれるかもしれない。

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  1. 3 Responses to “科学・サイエンス教育のありかた”

  2. オーム社『メディカルバイオ』5月号原稿、横浜サイエンスフロンティア高校 説明会資料です。 ご参考までに

    サイエンスは越境する
    ――ある高校のチャレンジ――

    横浜サイエンスフロンティア高校 スーパーアドバイザー
    和 田 昭 允

     横浜開港150周年を記念して、「横浜サイエンスフロンティア高等学校」が2009年に発足します。日本で始めて「サイエンス」を名前に掲げた高校です。横浜市が苦しい財政にありながら100億円近くを投入たのですから、その意気込みも判るというものです。私が所長をしていた理研のゲノム科学総合研究センター(GSC)が隣接地にあるというご縁で、2001年から設立基本計画のアドバイスをしてきました。そんなわけで、開校に向けての生徒募集に先立って常任スーパーアドバイザーとなり、文系・理系を問わず、日本の将来を支える“知と技”の若者を育てるつもりです。
     前にこのエッセイでGSC設立の例を引いて、物事ははじめが大切で、どんなプロジェクトでも基本理念がしっかりしていないとうまく行かないと述べました。今回はその文脈で、サイエンス教育についての私の思いを言わせてください。
     大事なことは、原点に戻って考えましょう。
     そもそも教育において何が一番大事か? 私は考えます:若い人はあらゆる方向に、多くの可能性を持っている。私は彼・彼女らが将来、自分の人生を振り返って「自分は有意義な一生を送ったと思える道」に進んで欲しい。自分自身、家族、社会、さらには人類の成長・発展のために、一人の人間として出来るだけの努力をしたと満足できる道です。
     この満足を得るには、日々の生活に“ロマン”を持ち、人生航路の岐路にあって正確な判断をし、最適解を求められる“力”をつけ“自信”をもつことが必要です。
     そのロマンと力は何処にある? それはサイエンスが持っている、と私は信じます。サイエンスは①対象をよく観察し、②正確で十分な情報を取り出し、③因果をつなぐ論理的なステップ――数百年の実績があり現在も発展中――を踏んで、④最適の解決に至る、⑤さらに将来を見通し的確な歩みを続ける、その指導原理です。サイエンス教育が与えるものは、物事を良く見た上で、基礎からキチンと考える習性・習慣の基本です。
     これまでサイエンスの対象は、もっぱら自然現象に限られてきました。正確で十分な情報を取り出せたからですが、そんなに狭く考える理由は全くない。文系・理系を問わず、あらゆる問題に使える最高のツールです。文系⇒理系の人の流れは全くといってないが、理系⇒文系の流れは最近とみに盛んになっているのはその証拠です。事実、私が東大理学部で教えた連中が、経済界、実業界、法曹界、そして官界で活躍しています。物事に正確に対処する姿勢を身につけているから、幅広い教養に裏付けられれば、それは強いですよ。
     その姿勢を支えてくれるのが、知識を合理的に活かす組織的な知恵であるサイエンスです。以前のエッセイ『アイディア空間とインセンティブ空間――「知識」「知恵」「こころ」の相互刺激的発展』で述べたように、たとえ最初の「知識」はわずかでも「知恵」を絞ってそのわずかな「知識」を活用するとおもしろくなって,もっと知りたいという「知識欲」が湧く。その「知識欲」に駆られて一所懸命勉強すれば「知識」が増え、それを使おうとしてさらに「知恵」が湧いてくる。「知識」と「知恵」が互いに刺激し合いながら「知の発展スパイラル」を登り「知のネットワーク」を作る面白さがそこにあります。面白くなれば、及び腰でしていた3時間の勉強を1時間で済ますことが出来る。その余った時間にまた知恵を働かせ、工夫し、知識を吸収する。サイエンスはこのサイクルを継続させる論理性と駆動力をもっています。教育は保育園・幼稚園から大学院までのあらゆるレベルで,このサイクルに入れば成功です。
     このサイクルにのめり込むにはどうするか? 知識を頭に入れるのではなく、心に共鳴させなければならない。それは実体験、つまり実験やフィールドワークを通してです。歴史上の大科学者から身近な先輩までの成功例を、自分になぞらえるのも良いかもしれない。また、友人同士での会話も不可欠です。この雰囲気が漂う学校は素晴らしい。
     以上は、個人を中心とした話ですが、社会・国家に対してはどうか。
     物質資源の少ない日本は、知的資源・文化資源をフルに活用する以外に先進国としての繁栄の道はない。昨年12月に公表されたOECDの学習到達度調査の結果、日本の15歳の生徒の科学的リテラシーが、前回、前々回の第2位から、今回第6位に下降したことが報じられました。科学技術立国へのイエロー・カードでしょうか?
     そんなに悲観することはない!幸い、ご先祖様が教育を大切にしてきたおかげで、基礎は出来ている。また、民族として才能のあることは世界が認めている。このDNAをフルに使おうではありませんか。勇気づけられる二、三の例を挙げましょう。
     黒船を率いて日本に来航し開国を迫った提督M.C.ペリーが、東洋の君子国日本が機械文明の厚化粧する前の素顔を、つぎのように書いています。(要約:傍点筆者) 
     『日本人は機械的技術において非常な巧緻を示している。彼等は世界におけるいかなる手工業者にも劣らず練達である。日本人は最も成功している工業國民に何時までも劣ってはいないだろう。』そして日本の将来をズバリ予言します。『欧米の成果を学ぶ彼等の好奇心とそれを自らのものにする敏速さによつて、彼等は間もなく最も恵まれた国々の水準にまで達するだろう。日本人が一度文明世界の技能をもったならば、強力な競争者として、将来の機械工業の成功を目指す競争に加わるだらう』。感動的とも言える洞察力です。 
     まだあります。100年前のネイチャー誌は、日本人の能力を高く評価しています。
     『西欧の総てを日本人は学んだ、と同時に、彼らは自分達独自のものを作り、多くの面で世界の賞賛を浴びている。彼らの発明や改良を見れば、しばしば言われる「日本人には独創性がない」という批判は全く当たっていな。純粋科学の面でも、日本人研究者は知の開拓者としての地位を確立している。日本の大学には世界のどこに出しても恥ずかしくない人たちがいる。』 鋭く見抜いた人たちも偉いが、感心させた日本人も素晴らしい。
     私の願い:中学から高校のもっとも多感な時期での人生設計にあたって、サイエンスが文・理を問わず社会活動にもつ絶大な力を知り、日本人が代々受け継いだ科学と技術の優れたDNA、に自信を深める教育、自分の明るい将来を仲間同士で語り合い励まし合える雰囲気を持った教育、がしたい――目覚めしものの夢こそ希望なれ。
    参考
    ・Wikipedia「横浜サイエンスフロンティア高等学校」および外部リンク参照
    ・ペルリ提督 『日本遠征記』 土屋喬雄、玉城肇訳 岩波文庫(1955) p129
    ・Nature December 15, 1904 p150 〝Education and National Efficiency in Japan〟 by Henry Dyer

    By 和田昭允 Akiyoshi Wada on Mar 30, 2008

  3. コメントとして貴重な資料をお送りいただきありがとうございます。
    和田先生、自らが,駆け出しの我が個人ブログにコメントをお送りいただいたこと、驚きとともに、本当に光栄に思っております。
    私自身、サイエンスの力を信じ、それへの憧れを持って、中学、高校時代を過ごし、科学(原子力)関係の研究機関に30年間勤務させていただいた経験を持っております。また、このブログの記事にも触れていますが、この春、義務教育課程を終えた子供を持つ親でもあります。そういうこともあり、日本のサイエンス教育のありかたを常日頃考えたいと思っているところです。
    先生のご指導される横浜サイエンスフロンティア高校の計画が成功され、その理念と成果が横浜という地に限られることなく、日本のサイエンス教育をリードする範となるよう願っています。

    By admin on Mar 31, 2008

  1. 1 Trackback(s)

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