高1で理系・文系を選択する?

May 19, 2008 – 5:33 pm

3ヶ月前、わが子の高校受験について、数回、書いた。幸い、目標にしていた公立高校に入学でき、やれやれと思っていた。入学して1月半が過ぎ、少しずつ高校生活にも慣れてきたようで、このまま、大学への受験勉強が本格化するまでは、高校生活を楽しめば良い、などと考えていた。ところが、である。全く、私の想像していない学校の仕組みを知ることになった。11月頃までに、文系にするか理系にするかを決心しなければいけないというのだ。文系と理系では、学校で教わる教科の中身が違うというのである。

文系・理系ってなんだ? 私が高校に入学したのは、40年以上前のことである。文系とか理系というのは聞いたことはある。私の記憶では、当時、理系というのは、大学の理学部とか工学部、文系というのは文学部とか法学部といった区別だろうと考えていたと思う。しかし、高校で教わる教科に、当時は、文系と理系といった区別があったとは思わない(私の記憶違いかも知れないが・・・・)。しかし、今、高校2年から文系と理系に別れ、教わる教科の内容が異なるというようだ。変な話だ。そもそも、文系とか理系という区別に意味があるものかどうかも分からない。文系といっても、例えば文学部の心理学科、統計処理とかを多用しているのではないか?哲学科で論理学を学ぼうとすれば、当然、論理的な思考を必要とするに違いない。などなど、そもそも文系・理系なんていう区別をすること自体、おかしなことだと思うのは私だけなのか?

サイエンスの対象を自然現象に限る理由はない: このブログで、日経の「科学Café」の和田昭允東大名誉教授のインタビュー記事に触れたことがある(ここ)。そのポストに対して、和田先生より、「サイエンスは越境する」という『メディカルバイオ』掲載のエッセイを、コメントとして送っていただいた。そのなかで、

 これまでサイエンスの対象は、もっぱら自然現象に限られてきました。正確で十分な情報を取り出せたからですが、そんなに狭く考える理由は全くない。文系・理系を問わず、あらゆる問題に使える最高のツールです。文系⇒理系の人の流れは全くといってないが、理系⇒文系の流れは最近とみに盛んになっているのはその証拠です。事実、私が東大理学部で教えた連中が、経済界、実業界、法曹界、そして官界で活躍しています。物事に正確に対処する姿勢を身につけているから、幅広い教養に裏付けられれば、それは強いですよ。

と述べられている。正直にいうと、ここで文系・理系ということで議論されていることに、少し、違和感を持っていた。何故、ここで文系・理系という話がでてくるのか、私には理解できなかったのだ。私にとっては、自然科学だろうと人文科学だろうと、対象こそ違え、科学ということで区別する必要はないのではと思っていた。わが子の話を通じて、どうやら、今の世の中、普通に(そして安易に)文系・理系という区別がされているということに気がついた。和田先生は、このあたりを問題にされていたのでは、と思ったのである。

高1で文系・理系に分けることはできない: 和田先生の「サイエンス」にかかわる話、その通りだと思う。物理とか数学は、物の見方、論理の組み立てなどを身につけるうえで基本的な教科だと思うのだ。いわゆる「文系」と呼ばれる分野が、むしろ、「理系」としてくくられる分野より、もっと複雑な事象を取り扱かうものなのではないかと思う。高校時代に、「理系」と呼ばれる分野の訓練をスキップしてしまうと、将来、「文系」としてくくられる分野で活躍することは、おぼつかないのではないか。

これに加えて、高校1年生で、将来自分がとるべき進路を確定することは可能なのだろうか?たとえ、「何になりたい」といった進路、夢を確定することはできたとしても、その夢を実現するために、どのような素養が必要なのかということは、非常に難しいと思うのだ。この高校時代という時期は、将来に向け、基礎的な素養である科学的なものの見方、考え方を身につけることこそ必要なのではないか。こうした時期に、文系・理系と区別してしまうのは、危険極まりないと思うのは、私だけなのか?


  1. 3 Trackback(s)

  2. Aug 30, 2008: オープンキャンパスに行ってきた | Yama's Memorandum
  3. Nov 29, 2008: 「科学技術の智」プロジェクトって何だ? | Yama's Memorandum
  4. Dec 8, 2008: 物理のない化学はなく、物理・化学のない生物・地学はない | Yama's Memorandum

Post a Comment