受験勉強につきあって

February 16, 2008 – 5:49 pm

我が子供、今年が高校受験の年である。中学生時代は、友達と仲良く、楽しい時間を過ごすのが一番大切と考え、今はやりの塾にも通わせていなかった。ほとんど受験勉強とはどんなものか考えることもなく、この時期を迎えてしまったというのが真相だ。受験の時期が迫り、塾通いをさせる代わりに、私自身が、子供の受験勉強につきあうことになった。そこでいろいろ現在の受験事情が見えてきた。

受験勉強につきあった第一印象、想像以上に難しい。日ごろ、わが子と話している内容とレベルが違うのだ。実は、我が子、親が考える以上に大人になっているのかもしれない。最近、子供たちの学力が低下したと問題にされている。しかし、高校入試の内容、かなりのレベルなのである。英数国理社5科目、トータルで400点以上はとらないと、それなりの学校に行けないという。正直なところ、日頃話している我が子のレベルから考えると、とんでもない話と感じた。正月休みなしで、親子揃って、受験勉強に邁進した次第だ。

まず、数学、中学生が身につけなくてはならないと思う基礎的事項は、我が子、なんとか理解しているようだ。しかし、過去に出題された問題、基礎的事項を理解しているだけでは対応できない。特に、幾何、まるでクイズでも解くようだ。基礎的事項は、そんなに難しいとは思えないのだが、とても、それだけでは間に合わない。かなりの分量を50分間で解かなければならない。一言でいって、問題のパターンを数多く知って、短時間で解答を得る必要がある。「ゆとり教育」なんて呑気なことは言ってはいられない、というのが正直な印象だ。

次に、英語。私が受験勉強をしたのは、ほぼ40年前。その頃と比べて、かなり難しくなっているのではないか?少なくとも、わが子、私の中学生時代より数段実力は上だ。特に、リスニングが必ず出題されるようになっているらしい。大変だ。幸い、我が子、英語に興味を持っているらしく、それなりのレベルに達しているようだ。それにしても難しい。

国語についてはどうか?最近、子供たちが漢字の読み書きができなくなったといわれる。我が子も同様だと思っていた。しかし、受験の国語、漢字の読み書きのでき不出来が問題にされるようなレベルではなかった。かなりレベルの高い評論文が出題されている。親の私自身、とまどうような問題も散見される。短時間に、読解力を身につけろといっても無理とは知りながら、できるだけ多くの文章を読ませた。本人曰く、これまでに読んだ量より多くの文章を読んだ。少しずつではあるが、それなりの文章も読めるようになった。この受験のレベル、新聞の社説を読むのと同レベルの文章を短時間にこなさねばならないというのが真相と感じた。かなり難しい。

理科、社会。とにかく範囲が広い。英数国の主要3科目に比べて、短時間で得点アップが可能とは思うものの、かなりがんばらないとこなせない。入試対策を万全にすると、かなり博識になると感じるのは受験勉強を真剣にやってこなかった親のたわごとかもしれない。

受験勉強に付き合って感じること。世の中の大多数の子供たちが塾通いをしているのが、よく理解できた。その良し悪しは別にして、受験に「勝ち抜く」ためには、必要なことかもしれない。しかし、受験問題への対応、条件反射的な受験スキルを身につけることが本当に、将来、子供のためになるのだろうか?疑問はつきない。しかし、高校受験は、くぐらなければならない、関門。受験勉強って、大人になるためのひとつの修練なのかもしれない。


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