福島第一の汚染処理水は海洋・大気放出?

December 26, 2019 – 4:06 pm

福島第一の汚染処理水の取り扱いについて、経産省は海洋・大気放出という提案をしたという。

12月24日の「森本毅郎 スタンバイ!」(TBSラジオ)のニュースズームアップでも取り上げていた。ニュース内容を書き取っておいた。以下だ:

東京電力福島第一原発で増え続ける放射性物質トリチウムを含む汚染処理水の処分について経済産業省は海に流す海洋放出と、蒸発させて大気中に放出する大気放出に絞るとりまとめ案を政府の小委員会に提示しました。

経産省の提示した案を詳細に読んでみたが、多少、違和感を感じた。ニュースの中身と、それに対する私なりの「感想」をメモしておいた。

福島第一の汚染処理水をどうするかというのは難しい問題だ。処理をしようにも、処理水に含まれる放射性核種の大部分がトリチウムということになると、適切な処理方法は見つからない。処理水が増え続けることを考えるとなんらかの処理をしなくてはならない。

この問題、小委員会でいろいろ議論され、今回の提案に至ったようだ。これを検討していたのは「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会」という委員会で、この事務局がニュースに報じられた案を提案したということのようだ。

汚染水から同位体分離でトリチウムを除去しようにも118万トンもの汚染水を処理するのは難しい。トリチウムの処理ということでは経産省の提示した海洋放出というような方策しかないようにも思える。とりあえず、提示された「案」の中身を読んでみることにした。

経済産業省が小委員会に提示したとりまとめ案

上述したニュースで経済産業省が提示したとりまとめ案というのは、「多核種除去設備等処理水の取扱いに関する小委員会 取りまとめ(案)」というものだ。

今回提示された案では、これまで検討されていた6種類の処理・処分方法から2つの方法が選択されている。日経(12/24付朝刊)の関連記事に検討された方策と今回選択された2つのと関係をうまく表現した図があったので右に転載しておいた。

6つの方策について検討してみたが、現実的な方策として採用するには無理があるので、海洋放出と大気放出(あるいはその組み合わせ)により処分することにしましたというのが「とりまとめ案」の主要なポイントといってさしつかえない。

「とりまとめ案」を読んでみた
「とりまとめ案」を一読した感想を一言で述べるなら、わかりにくい「報告書」という印象だ。失礼ながら、言い訳じみた表現が多く、何を本当に主張しているのかよくわからないというのが正直な感想だ。

うがった見方をすれば、処分方法として海洋放出、蒸発による大気放出という結論ありきの議論のため、どうしても言い訳をしながら「安全」という議論をしようとするところに無理があるのではと思った。

以下、この「とりまとめ案」のなかで特に気になった部分をメモしておいた:

まず第一。議論の前提が、処理水に含まれる放射性核種の大部分がトリチウムということのような印象を受けていたが、トリチウム以外にも処理の必要な放射性核種が含まれているということが書かれている。ちょっとした驚きだ。「とりまとめ案」の該当する部分は以下:

 ALPS(多核種除去設備)はトリチウム以外の62種類の放射性物質について告示濃度未満まで浄化する能力を有しているが、現在貯留しているALPS処理水の約8割には、現時点でトリチウム以外の放射性物質が環境中へ放出する際の基準(告示濃度限度比総和1以下)を超えて含まれている。
・・・
 タンクに保管されているALPS処理水の濃度は、ALPSの運用(吸着剤の交換頻度等)や処理前の水質により幅がある。・・
 こうした状況を踏まえ、ALPS処理水に含まれるトリチウム以外の放射性物質については、風評など社会的な影響も勘案し、単に希釈して規制基準を満たすのではなく、希釈を行う前に二次処理を行い、トリチウム以外の放射性物質について告示濃度限度比総和1をみたすことを今後の対応方針として決定し、その上で議論を行った。(pp.9-10)

トリチウム以外の放射性核種が含まれているというだけでなく、その濃度も「基準を超えて」いるものがあるとし、そうしたものが処理水の約8割にも及ぶという。これでは、周辺住民が不信感を持つのは当然だ。なんともお粗末だ。

第二に、この「とりまとめ案」には「風評被害」対策についての議論が実に本文28ページのうち、4分の1の7ページにもわたって記載されているのには驚く。処理水の処分方法についての議論を「風評被害」の議論のなかに埋没させてしまうような印象すら受ける。

ALPS小委員会は風評被害の議論の冒頭これを以下のように定義し検討したという。

(風評被害は、)安全が関わる社会問題(事件・事故・環境汚染・災害・不況)が報道され、本来『安全』とされる食品・商品・土地・企業を人々が危険視し、消費や観光を止めることによって引き起こされる経済的被害である。(p.22)

この議論、本末転倒だ。なにが『安全』かを議論するのを棚上げし、「報道」により「人々」が危険視することで風評被害が発生するというところに重点が置かれる。これでは、風評被害を議論するということは「報道そして人々」を敵視しなくてはならないことになってしまう。なんとも不思議な議論ではないのか。
  


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