松井英介著「見えない恐怖 放射線内部被曝」を読んでみた
October 16, 2011 – 3:04 pm福島第一の事故により大量の放射性物質が環境中に放出された。以降、放射線による被曝とその健康影響について議論が盛んになった。なかでも、放射性物質に汚染された空気、水、食品などを摂取することによる被曝、「内部被曝」について多く議論されているようだ。
私自身の放射線との付き合いは、結構、長い。そうした経験に照らしてみると、3.11事故以降目にする「内部被曝」についての議論は、私にとって、疑問に思うことが多々ある。ここらで、私なりに、整理しておく必要を感じている。
「見えない恐怖 放射線内部被曝」を読んで見た: 近所の公営図書館で、松井英介著「見えない恐怖 放射線内部被曝」(旬報社2011年6月発行)を見かけた。そのまえがきには、
放射性物質の厄介なところは、目にみえない、臭いも味もしない、痛くもかゆくもない、わたしたちの五感では感じることができないことです。そして、もうひとつ困ったことは、身体の中に入ってきた放射性物質による内部被曝による病気は、何年も経って忘れたころにでてくることです。これを晩発障害といいますが、自分の病気が放射線の影響によるものだということを意識しないことだってめずらしくないのです。それをよいことに、今回の福島原発事故に際しても、原因企業、日本政府、学者そしてマスメディアは、こぞって内部被曝と晩発障害を無視した対応に終始しています。(pp.5-6)
そして、本書の内容の紹介のなかで、
・・・ 第2章では、内部被曝の仕組みとその危険性を理解していただくために、放射線の基礎をおさらいし、日本では絶対のものとされてきた国際放射線防護委員会(ICRP)の基準に対して、これを批判し内部被曝モデルを提示したヨーロッパ放射線リスク委員会(ECRR)の提言を紹介します。・・(p.6)
としている。
このまえがきを見ると、本書は、どういうわけか異なる概念であるはずの内部被曝と晩発障害が同じものとして取り扱うなど乱暴な議論をしているとの印象を受ける。それはそれとして、ともかく、これが福島原発事故にかかわり多くの議論がされている「内部被曝」の重要性をとりあげている書のひとつであることが理解できる。そして、ICRPを批判して、ECRRの議論に与しているようだ。「内部被曝」について、今、何が議論されているのか知るのには良いテキストだと感じた。
ということで、福島原発事故以降の「内部被曝」に対する議論、世間の危惧をそれなりに代表するものとして、その主張をみることにした。
外部被曝と内部被曝が及ぼす健康障害の違い: 「見えない恐怖」において「外部被曝と内部被曝」について記述されている部分について引用してみよう。
被曝には、放射線が身体の外から照射される「外部被曝」と、身体の中に取り込まれた放射性物質から照射される「内部被曝」があります。(p.36)
・・「外部被曝」は・・ガンマ線やエックス線が問題となり、呼吸や飲食で放射性物質が身体に入った「内部被曝」は粒子の性質をもつアルファ線やベータ線、とりわけ最も強力な作用を及ぼすアルファ線が問題となります。・・
今回の福島原発事故による環境被曝では、外部被曝より内部被曝が問題となります。広島や長崎で原子爆弾が炸裂した瞬間ごく短い時間、外から人間の身体を貫いたのがガンマ線です。強い被曝です。これに対して、原爆が炸裂したときには広島や長崎にいなかったけれど、後から親族を探すために、あるいは救援のために被爆地に入ったひとたちの健康障害は、主としてアルファ線とベータ線による内部被曝が原因です。(pp.42-43)
これを読んで、失礼ながら、なんとも雑な説明と感じてしまった。
内部被曝と外部被曝による違いを説明する際には、被曝形態をきちんと説明しなければならない。広島、長崎の原爆被災地では、原爆が炸裂したのち、時間をおいた被曝には、筆者の内部被曝もあるが、同時に被爆地周辺に降下・分布した核分裂生成物からの外部被曝も考慮しなければならない。
内部被曝を考慮する場合、そうした放射性物質の体内への取り込みについて考慮することなく評価できないはずである。
また、福島原発事故についても同様で、内部被曝について考慮する場合には、環境を汚染した放射性物質の体内への取り込み形態を十分吟味しなくてはならない。
逆に、内部被曝を避ける方策として、汚染食品の摂取をコントロールする手段等を用いることにより、かなりの程度の被曝を避けることができるはずだ。
著者は、内部被曝の特徴として、アルファ線による被曝を問題にする。
アルファ線は飛程(飛ぶ距離)が短く、紙一枚通れないので、アルファ線を浴びても問題ないというひとがいますが、とんでもない話です。・・・ひとの身体の中だと、約四十マイクロメートル飛んで、エネルギーを放出します。もっているエネルギーのすべてが、・・・分子のイオン化などに費やされるのです。(p.44)
ひとの身体・細胞は修復する力をもっています。・・・ ガンマ線は、多くの場合、急性で一回被曝し、後から次々来ることはありません。たまたまそのガンマ線が通ったところの遺伝子が傷をうけます。しかし、この程度であれば修復する力があり、正常な再結合ができます。
それに対してアルファ線は、今述べたように、とても強力なエネルギーを繰り返し放射するので非常に高密度に傷を付けます。仮に身体の中にアルファ線がとどまっていれば、その間ずっと周囲の遺伝子は傷を受け続けます。それが間違った遺伝子結合を引き起こすのです。(p.45)
内部被曝では、体外被曝では問題ならない飛程の短いベータ線、アルファ線などの効果を問題にしなければならない。さらに、アルファ線においては電離密度が高いなどガンマ線から生じるに電子線あるいはベータ線にはみられない特徴を持っている。これについては放射線被曝、とりわけ内部被曝、を扱う場合には十分考慮しなければならない。当然である。
しかし、放射線の電離密度が高いという事を、直接的に、内部被曝問題と結びつけることはできない。
例えば、中性子線の被曝についてはどうだろう。身体の外になる線源から放射される中性子による被曝はからだを構成する分子中の原子核を弾き飛ばす。その弾き飛ばされた原子核の飛程に沿ってイオン化が生じる。
この際の電離密度もアルファ線のそれに比較し十分に高いことだってある。中性子のエネルギーに依存するはずだ。
「見えない恐怖」の著者の議論は、内部被曝の議論がいつの間にかアルファ線の電離密度の高さにすりかえられてしまっている。こうしたすり替えが多いのが本書の特徴だと思ってしまうのは、私だけか?
「仮に身体の中にアルファ線がとどまっていれば、その間ずっと周囲の遺伝子は傷を受け続けます。それが間違った遺伝子結合を引き起こすのです。」のくだりなどは、全く意味不明だ。ここで著者は、なにを主張しようとしているのか?わたしには理解不能だ。
もう少し緻密な議論をすべきではないだろうか?
ICRPとECRR: ICRPとECRRのモデルについても、「見えない恐怖」で議論している。しかし、著者の説明は、上でも述べたように論理的なすり替えが多く、その違いが明確にはなっていない。少なくとも私には、著者が何を主張しているのか理解できない。
このICRPとECRRのモデルの相違点については、この「見えない恐怖」から離れて、あらためて検討・理解したほうがよさそうだ。
ただ、著者のICRPとECRRの相違点についての主張は巻末の解説部分にまとめられているようである。以下、抜粋しておいた。
吸収線量(rad, Gy) は、ICRP1990年勧告の吸収線量に関する定義。
「吸収線量はある一点で規定できる言い方で定義されているが、しかし、この報告書では、とくに断らない限り、ひとつの組織・臓器内の平均線量を意味するものとして用いる」。
要するに、放射線の被害を、電離の数で計る。電離とは、電子を原子から吹き飛ばして、分子を切断すること。電離の数は、エネルギーで計る。エネルギーは、被曝の規模を表す物差しのひとつで、被曝を定量的に評価する方法というわけだ。そこで問題点は、次のように要約されよう。
- ICRPは、被曝形態(外部、内部)、被曝の局所性、被曝の持続性など、個々の特殊性を考慮対象から除外している。
- 先天障害や発がんに至るプロセスには、継続的な被曝が関与している。エネルギーの量だけでは評価できない。
- 遺伝子の何段階もの質的な変化が重要だ。
(pp.151-152)
ここでの議論、これまでの放射線被曝に対する考え方、少なくとも私が学んだ放射線被曝の概念とは相容れないもの、と考えざるをえない。そもそも放射線の単位からみなおしを要するようなものだ。
以前、このブログの「福島第一事故による放射線被曝をどう考えればよいか(その1)」で、放射線被曝とは何かということについて、中島篤之助、安斎郁郎共著の「原子力を考える」(新日本新書)の記述を引用しておいた。それと比較してみると、このICRPとECRRのモデルの考え方の相違は、ある種の驚きを持つ。
このあたり、実際のところ何が問題になっているのか、ECRRのオリジナルな報告を読むなどしてみようと思った次第だ。
それにしても、松井英介著「みえない恐怖」は科学的議論抜きの一種の「トンデモ本」だな、というのが私の読後感だ。
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