NHK教育TV「吉本隆明が語る 沈黙から芸術まで」を見た

January 6, 2009 – 6:29 pm

一昨日、4日のNHK教育テレビで「吉本隆明が語る 沈黙から芸術まで」を見た。この番組、昨年8月、昭和女子大学・人見講堂で二千人の聴衆を前に行われた講演を中心に構成されている。私にとっては、難解で、とても十分理解できたとは思えない。しかし、何か大切なことが議論されているという印象を持った。

吉本隆明について殆ど何もしらない。彼、吉本隆明について、私が持っている知識は、学生時代(もう40年前)に反代々木系の学生運動活動家のカリスマ的な存在として知られていた人物、程度である。著書、「共同幻想論」とか「言語にとって美とは何か」については、その書名は聞いたことはあるが、全く読んだこともない。ただ、最近、出版された「老いの超え方」、「家族のゆくえ」などを、近くの公立図書館で見つけ、読んだことはある。それなりに共感する部分はあった。そういうこともあって、その主著ともいえる「共同幻想論」を読んでみようかなどと考えていたところだ。そこで、偶然知ったのがこの番組。何が語られるのか、手っ取り早く、吉本隆明の思想のエッセンスを知るには好適だと考え視聴した。

見終わった印象を一言で言うと、講演の内容、吉本の思想がなんであるかは別にして、吉本隆明という人は、なんともエネルギッシュな「老人」だろう、ということだ。糖尿病を患い、目も悪くなり読み書きに不自由しているということでありながら、何かを伝えようという気迫を感じさせる。なんといっても目が生き生きしている、と感じた。そういうこともあり、番組をDVDに録画、昨日、今日、数回繰り返し見てみた。メモをとりながら視聴した。語られていることが多岐にわたっており、正直、十分にフォローすることはできなかった。私がフォローできないこと、芸術とか教養とかに余りにも無縁な私の能力によるところが大きいと、我ながら反省することしきりであった。

議論された(と感じる)事: 吉本隆明の言語論の肝は、彼自身の言、「他人とコミュニケーションを交わすために言語というのがあるという考えを、第一に、僕としては否定してきた。言語の本当に幹と根にあるのは沈黙なんだと僕は考えた。」ということに集約されるようだ。

伝達が目的でなく(沈黙のなかで)自然に現れる言葉(表現)を「自己表出」、伝達を目的とする言葉(表現)を「指示表出」とし、言語をこの二つに分類できるとする。前者「自己表出」を、作家など話者の精神性などが直接的に表現される言語としての本質的な部分であるとする。芸術の価値はこの「自己表出」される部分にあるとするのだ。ここでいう芸術的価値は、西欧中心に発達した近代文明のfunctionalism、機能主義を基本とする価値と対置、さらには、相いれないものと考えられる。というように、講演内容のエッセンスを私なりに要約した(かなり乱暴な要約かもしれない?)。

視聴した後: なるほど、このようなことを議論していたのか。というのが、この番組を視聴した後に感じたことだ。私の学生時代に吹き荒れた学生運動の嵐、ひょっとして、この近代文明の機能主義の否定ということが、当時の若者をひきつけたことであったのかと、いまさら思ったりもした。だとすれば、さまざまな問題が指摘されている現代『科学文明』と対立する思想にも重なってくる。科学技術の諸問題、これに付随するさまざまな議論を考えるうえで、吉本隆明がこれまでに議論してきたことを詳細に眺めなおすことは意味があるのかもしれない。それを肯定するか否定するかは別にしてもだ。

これを機会に、吉本の「共同幻想論」などの主著を読んでみることもいいのではないか?じっくり読んでみよう、なんて思った次第だ。


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