「東海村原子力安全フォーラム」を覗いてきた
September 8, 2019 – 11:39 am私の居住する東海村で「東海村原子力安全フォーラム」が開かれた。
村民のひとりとして、そして、事故発生当時、原子力関連事業でお世話になっていたものとして、最近の原子力事業の動きを、少しでも、知ることができればということで覗いてみた。
この「催し」、1999年9月31日にJCO臨界事故が発生してから今年で20年目という節目にあたることから開かれたようだ。フォーラムの副題は「JCO臨界事故を教訓として、ともに考える」となっている。
この会の印象を一言で述べるなら、なんとも緊張感の欠ける行政主催のセレモニー・「式典」という印象。事故から20年の節目ということで、東海村という行政組織に促され周辺の原子力事業者が一同に会し「事故のあったことを思い起こす」というものだったようだ。
ふたつの原子力事故の教訓と原子力事業の存続:
今回の催しは、東海村という行政組織が原子力関連事業の存続を前提とするものの、安全性維持の重要性を意識したいということのように感じた。このあたり、フォーラムの開催趣旨のなかに、「原子力においては”安全がなによりも優先する”という原点を一層深く浸透・追及してゆく(東海村HP)」から読みとれる。
しかし、JCO臨界事故、福島第一事故を経験した今、原子力関連事業自体の存続、ありかたをどのように考えるかを抜きにして、未来を語ることはできない。
「原子力においては安全がなによりも優先」というスローガンも、経済的な裏打ちなく主張することはできない。福島第一事故後の安全規制の強化は当然のことだ。しかし、規制強化により原子力が事業として成立しなくなるなら原子力事業の存続自体に言及せざるを得ない。あの「大」東芝の経営破たんのルーツが我が国のふたつの原子力事故、そしてこれを契機とした安全規制の強化による原子力発電所建設コストの増大にあったのは明白と考える。
あれこれ考えて、私個人としては、原子力事業の未来を否定的に捉えざるをえない。そして、原子力事業を存続させることを前提としたいかなる議論も不毛なのではと思ってしまう。
興味深かったふたつの講演:
今回のフォーラムでは、JCO事故記念セレモニーに加えて、以下の4つの講演がおこなわれた。
村上達也(前東海村長): JCO臨界事故の東海村への衝撃 桐嶋健二(JCO 現社長) JCOの臨界事故後の活動 田中俊一(前原子力規制委員会委員長) JCO事故と福島第一事故から学ぶこと 福嶋浩彦 市民が原発を「自分ごと化する」
このうち、村上・前東海村長と田中・前原子力規制委員会委員長のふたつの講演に学ぶところは多かった。残念ながら、最後の福嶋氏の講演、ひところ流行った「科学技術社会論」の流れを汲む活動の焼き直しといった印象で、私にとっては退屈なものであった。
村上氏の講演では、JCO事故発生の社会的背景について語られた部分、そして福島第一事故の発生が価値観転換のシグナルとし、原子力発電を否定する立場を表明されたことに、意を同じくした。
JCO事故時ほぼ20%の濃縮度を持つウランの処理を、J事故以前に露・欧米で20件以上の臨界事故を知りながらが住民の居住する場所からわずか80mの位置で、また貧困な建屋・装置のもと行っていた事実を指摘し、ここに我が国の自らの技術を過信する社会的背景が存在にすることに言及している。この我が国の、技術過信が、福島第一原発事故の原因にも通じるものとの印象を受けた。
田中俊一氏の講演はふたつの事故の経緯・教訓をまとめており、私にとって学ぶところが多かった。研究者・技術者としてのまじめさを感じる講演であったように思う。
特に、JCO事故について、動燃の「発注者責任」、そして安全審査上の不備があったことを指摘した部分については、非常に重要な視点との印象を持った。
そして、福島第一事故については、大量の除染土の今後の処理の難しさについて言及し、事故後行われた除染措置について疑問が付されたこと、そして直接的な放射線障害の発生がなかったにもかかわらず、「無計画な」避難によるなどして、「震災関連死」が現在までに約2300人に達しているとうい事実が指摘されたことについて印象深かった。
ただ、村上氏が原子力事業の存続に否定的な見解を示すのに対し、田中氏の立場が、基本的には、原子力事業の存続を前提にしていることにはいかがなものか、との印象を持った。
会場で配布された講演レジメをPDF化したものを以下に添付しておいた:
(1)村上達也 講演 「JCO臨界事故の東海村への衝撃」 レジメ:
東海村原子力安全フォーラム(村上氏講演レジメ)
(2) 田中俊一 講演 「JCO事故と福島第一原発事故から学ぶこと」
東海村原子力安全フォーラム(田中俊一講演レジメ)