西尾獏著「私の反原発切抜帳-歴史物語-」を読んでみた
January 30, 2018 – 12:15 pm前回エントリに同じく、本書も近所の公営図書館で偶々見かけた図書のひとつだ。
著者、西尾獏は長年に亘り我が国における反原発の中心的役割を果たしてきた「原子力資料情報室」の共同代表のひとり。
原子力資料情報室設立の中心メンバー高木仁三郎の著作には、明快で鋭いロジックに感銘を受けたものであるが、現共同代表の西尾獏については、その名を見かけることはあっても、著作に触れたことはなかった。
本書を通じ、現在の反原発運動の流れのひとつに触れることができるのではと思い読んでみることにした。
一読した印象を述べると、私自身が原子力関連研究所に長年勤務していたにもかかわらず、本書を通じ、いままで知らない原子力業界の動きが数多くあったことに気付かされた、というところか。
本書の構成と感想:
本書は、タイトルの示すように、著者が反原発運動のなかで収集したさまざまな著作・文書を引用しながら、我が国の反原発運動の展開を描いている。
第1章で、戦後、我が国にどのように原子力産業が導入されてきたかを素描し、第2章以降で、著者の携わってきた1970年代以降の反原発運動を記述している。
本書の巻末には、「日本の反原発運動略年表」が収められているが、年表は1970年の3月14日の「日本原子力発電敦賀1号が運転開始」、そして同年11月28日の「関西電力美浜1号炉が営業運転開始」からはじまり、2013年の9月15日の「再び国内全原発が停止」で終わっている。約40年間の原子力の盛衰を象徴しているような年表だ。
この40年のあいだ、原子力事業の展開を巡り推進勢力、反対勢力が入り乱れてきたように思う。この間、商用炉の事故として3つの大きな事故が発生した。1979年の米TMIの炉心溶融事故、1986年の旧ソ連邦チェルノブイリ原発事故、そして2011年の福島第一原発事故の3つだ。
本書をみると、これら過酷事故の発生を契機とした反原発の運動の高まり、衰退を繰り返している様子がよくわかる。もちろん、本書では、70年代初頭の原子力発電の黎明期から継続的に反原発運動が続いているさまが描かれているが、過酷事故の発生が反原発運動をたかめたというのは間違いない。その繰り返しだ。
米TMI事故の発生を知った著者のリアクションが興味深い。以下抜粋:
1979年3月28日、アメリカのスリーマイル島原発二号機で、世界初のシビアアクシデントが起きます。安全審査時の想定を超える過酷事故が、すなわちシビアアクシデントです。その後八六年にはチェルノブイリ原発事故、二〇一一年には福島原発事故と、よりおおきくより深刻な事故でした。原発の危険性というより推進キャンペーンや核管理社会のおぞましさから反原発の運動に入った私は、各地で講演をしたりすることが否応なくある中で危険性を訴えていながら、実感をもてずにいたのです。
・・・
つまり「安全神話」は、実は反原子力運動の中にも根を下ろしていたということでしょうか。言い換えるなら、であればこその「安全神話」だったのです。それが、音をたてて崩壊しました。・・(pp.81-82)
原水禁と反原発運動:
著者は「原子力情報資料室」の共同代表であるとともに、現在、原水爆禁止日本国民会議の副議長をつとめている。本書の著者の反原発運動の根には原水禁運動があるようだ。
原水禁運動が反原発とのかかわりを持つにいたるいきさつが次のように記されている:
原水禁が発足したのが1965年7月1日です。・・・ちょうどそのころ、米原子力潜水艦・空母の日本の港への寄港反対が大きな運動になっていました。 ・・・原水禁が反原発の運動にかかわっていくきっかけともなったのが、「動く原発」である原子力潜水艦・空母の寄港反対運動でした。それと再処理工場の建設が核兵器に道を開くものととらえられたのも当然のことでしょう。そのようにして原水禁は、反原発・反核燃料サイクルの運動に関わっていくことになります。(p.41)
私自身は、反原発運動というのは、主として、立地などに関わり原子力固有の安全問題とかその背景にあるエネルギー問題として捉えるべきものであり、いわゆる原水禁運動といった反核運動とは分離して考えるべきものと考えていた。反原発運動の根っこ反核があるというのに違和感を感じた、というのが正直なところだ。
反原発 vs 脱原発:
どのような立ち位置で原発に反対するかということについて興味深い議論がされていた。反原発と脱原発の違いについてである。関連部分を抜き出してみると以下:
「脱原発」か「反原発」か。福島原発事故以降、にわかに「反原発」派が台頭してきました。福島原発事故の前には、「反」より「脱」のほうが過激でなく受け取られるような風潮がありました。だからこそ、事故の後では「反」が優勢になったのでしょう。
・・・
九州大学の吉岡斉教授は、「私は『脱原発』という言葉に出会ったとき、『反原発』よりもはるかに幅広い人々を集めることができる魅力的な言葉であるように思えた」と言い、「脱原発」には「原子力発電が社会の中で一定の役割を果たしており、すぐにそれを廃止することは困難であるという現状を認めた上で、一定の時間をかけて原子力発電からの脱却を図っていくという意味が込めれれている」と定義づけています。この(「脱原発」という)言葉を日本社会に広めたのは高木仁三郎であるのですが。高木さんは「原発が有無を言わせず押し付けられる状況に対する反対から、私たちの手でどう原発のない社会をつくっていくのかという、脱原発社会をつくる運動にむかって新しいスタートである」と。(p.114)
本書著者は、吉岡斉と高木仁三郎の「脱原発」という言葉のニュアンスが異なるように主張しているようであるが、私にはその違いはよくわからない。むしろ、両者とも、原発のない社会を展望する必要を強調するなかで、この「脱原発」という言葉を使っているように思う。それはそれでいいのではないだろうか。
一方、「反原発」についてであるが、福島原発事故で一躍有名になった小出裕章の主張について以下のように紹介している。
京都大学原子炉実験所の小出裕章さんは根っからの「反原発」派です。槌田劭さんとの対談で、こう語っています。「槌田さんは脱原発から未来の社会をどうやってつくるかということに向かう」「私はただ反対しているんです。反対した結果、どんな社会ができるとか、そんなことには、私は関心がない」(小出裕章・中嶌哲演 槌田劭著「原発事故後の日本を生きるということ』農文協ブックレット 2012年)。
最後に、月並みな感想になってしまうが、原子力の問題は、原子力発電の安全性の議論にとどまらず、かなり複雑な社会的背景のなかにあるな、というところ。
本書をよみながら、いろいろ考えてみるものの、どうも考えがまとまらない。引用だらけの感想文になってしまった。